今でも時折衣装を作るそうで、なんでも、霞流慎二の母である聖美に腕を見込まれて頼まれたりもするらしい。瑠駆真の家を飛び出した美鶴がバッタリ出会った時、両手一杯に荷物を抱えていた幸田。中身は布やら裁縫の材料だった。
霞流さんのお母さんって、あの京都のパーティで会った人だよな。
華やかで少し勝気そうな女性。知多木綿に惚れ込み、その宣伝の為に国内外を駆け回る彼女がなぜ幸田にコスプレ衣装などを作らせるのかはわからなかったが、楽しそうに作りかけの衣装などを広げて美鶴に説明する幸田を見ていると、なぜだか心が安らいだ。
幸田さんは、本当に純粋な人だ。霞流さんはそれを見抜いたから幸田さんを雇ったのだろうか? だとしたら、やっぱり本当の霞流さんは優しい人で、人を見る目もあって、心のどこかには人を慈しむ心を残しているのではないだろうか?
その考えに希望のようなものを感じながら、同時に不安も感じる。
そんな人に対して、こんな、嫌われたらどうしようなんて尻込みしている中途半端な気持ちで向き合っても、やっぱり振り向かせる事なんて、できないんじゃないのかな?
結局、悪いのは私?
憂鬱になりそうな胸に息を吸う。冷たい空気が肺に沁みる。噎せそうになるのをなんとか堪え、大きくため息をつきながら、嬌声をあげるコスプレ集団へ再び視線を投げた時だった。
ふと視界の隅に見知った人影を見つけた。
あれは?
記憶を手繰り、目を丸くする。
裏庭で奇声をあげた下級生。自分を自宅謹慎に追いやった張本人。金本聡の義理の妹。金本緩。
彼女は美鶴から数歩離れたところで、やはり美鶴と同じようにコスプレ集団を見物している。違うのは、美鶴が立ち止まっているのに対して、緩はゆるゆると歩を進めているというところ。視線を集団に張り付かせたまま、ゆっくりとこちらに向ってくる。
関わりたくないな。
なんとなく拒絶したい思いから、彼女とぶつからないよう脇へ移動した。すると、まったく知らない人とぶつかってしまった。
「あ、すみません」
思わずあげた声が、緩の耳に届いてしまった。
「あ」
合ってしまった視線を外す事もできず、二人はその場で向かい合う。
べつに大した知り合いでもないんだし、挨拶なんて交わす間柄でもないよな。
そう思い、無言でその場を離れようとする背中に冷たい声が掛かった。
「不愉快ですわね」
明らかに自分へ向けられたと思われる言葉に振り返ると、腕を胸の前で組む緩がこちらを睨みつけている。
「このようなところでこのような放埓な人間に遭遇するなんて、不幸極まりありませんわ」
「ほ、放埓って」
さすがに聞き捨てならない。
「それって、私の事?」
「他に誰がいるっていうのです? まぁ、だらしの無い人間は、己すらも知らないのかもしれませんけれど」
「だらし無いって、ちょっと、私のどこがよ?」
「まぁ、白々しいっ!」
ヒステリーのような声をあげ、一歩前へ出る。
「男関係でさんざん浮名を流しておきながらそのような惚けた態度が取れるなんて、厚かましいにも程がありますわ」
「厚かましいって」
「でなければ、図々しいと言ったところかしら?」
「ちょっと待ってよ。だいたい、誰が浮名を流したって? 何で私がアンタにそんな事言われなきゃならないのよ?」
さすがに腹が立つ。
「だいたいねぇ、私はアンタのせいで」
「自宅謹慎の件でしたら、謝るつもりはありませんわ」
言ってから、マズかったかと後悔した。謝罪しなかったという態度がこの女から山脇先輩の耳に入れば、私のイメージは下がるだろうか?
そのような打算と格闘しながら、だがもはや口にしてしまった言葉を撤回するなどといった行動は取れない。この女に対して、そんな屈辱的な行動は取れない。
「謝るつもりはありませんわ。あなたのような、男を誑かすような女、謹慎になっても当然よ」
「聡や瑠駆真の事を言っているのなら反論させてもらう。あれは私の意志とは無関係だ」
「まぁっ!」
素っ頓狂な声。ここまでくると、猿芝居でも見ている気分。
だが当の緩はいたって真面目。瞳を見開き、怒りに唇を振るわせる。
「あのような、あのようなフシダラな所業に及んでおきながら自分は関係が無いだなどとは、よくも、よくもそのような事が言えましたわねっ!」
公共交通機関を利用する人で賑わう駅前だという事実など忘れてしまっているのだろう。大声にギョッとする美鶴などお構いなしで、緩は右腕を振る。
「あのような写真まで撮られておきながら、なおも言い逃れしようなどとは、どこまで狡猾で低俗なのかしら」
「あのような、写真」
美鶴の眉間に皺が寄る。
瑠駆真との写真の事か。
「山脇先輩をあそこまで誑かすような真似をしておいて、なおも言い逃れしようなんて、聞いているこちらが恥かしくなります」
「ちょっと待て。あの写真はこちらの意思とは関係無くって」
「まぁっ! では、山脇先輩の方からあのような、あのような」
その先は怒りで言葉も出ない様子。がたがたと身体を震わせ、ただひたすらに美鶴を睥睨する。その姿に、小さな恐怖すら感じた。
このままだと、またとんでもない事に巻き込まれそうだ。ワケもわからず自宅謹慎なんて、金輪際御免だからな。
思い出して生唾を飲み、ゆっくりと、できるだけ相手を刺激しないように美鶴は口を開いた。
「その、あの、とにかくあの写真がどういう成り行きで撮られたにしろ、アンタには関係無いんじゃない?」
「なんですって?」
「だってそうでしょう? あの写真は私と瑠駆真の写真であって、アンタには何の迷惑もかかっていないワケだから」
だから何も緩がそこまでヒステリックに怒りを湧き上がらせる必要は無いのではないか?
と、そこで美鶴は瞬く。
まさか、まだあの廿楽華恩とか言う上級生に使われて、自分と瑠駆真の仲を裂こうとしているとか?
いや、それはない。そもそもあの携帯写真は、黒幕は廿楽華恩ではないかという噂もある。瑠駆真に振られた腹いせに小童谷を使って騒動を起こしたのではないかとも噂されている。という事は、華恩には瑠駆真に対して、未練はあるかもしれないが、愛情はもはや無いであろうと思われる。ならば緩が華恩に指示されて動いているとは思えない。
と、なると。
「ひょっとして、アンタも瑠駆真信者?」
「なんですって? 瑠駆真信者?」
「瑠駆真に惚れてる一人、とか?」
「ば、ばばば馬鹿を言わないでくださいませっ」
動揺している様子で声を荒げる。
「私はただ同じ唐渓に通う一年生として、あなたのような尻軽な上級生を持つことがいかに恥であるかという事を申しているのですわ」
「だからって、なにもそこまで怒らなくっても」
「まぁ、これが怒らずして済むと思います? これだから下層民は嫌いなのよ」
それはすみませんでしたね。
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